NOKTONと、ふたり

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長崎ランタンフェスティバル ④【大浦天主堂とグラバー園編】

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長崎観光の最終日、

前々から郷土料理の「卓袱(しっぽく)」に興味がありまして

予約していた「浜勝」さんでランチをしに思案橋まで向かいました。

 

精進料理に中華と洋食がミックスされた卓袱は「和華蘭料理」ともいわれ

皆で乾杯するよりも先に、お鰭(ひれ)の椀物からスタートするのが習わしです。

前菜・お造り・酢の物(くじら)・長崎天麩羅(ハトシ)・豚の角煮などがふるまわれ

最後は紅白の餅が入ったお汁粉で〆。

本来はハレの日に円卓を囲んで大人数で食べる料理ですが

浜勝さんではお一人様でも楽しめるメニューがあるんですよね。 

 

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初めての卓袱料理を堪能した後、

また路面電車を乗り継いで大浦天主堂駅までやってきました。 

 

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ANAクラウンホテルから続く急な坂道の上に天主堂はあるのですが

これが写真的に横構図、縦構図にしても、うまいこと40mmレンズに収まらず四苦八苦^^; 

堂内はステンドグラスから光が降りそそぎ息を呑むほど美しかったものの、

神聖な礼拝の場で撮影はもちろん禁止。

 

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大浦天主堂は正式名称を「二十六聖殉教者聖堂」といい

禁教令を布いた豊臣秀吉により、見せしめのために処刑された日本人20名(うち子供3名!)と外国人宣教師6名を奉じるため

江戸末期の1865年にフランス人神父によって建てられました。

聖堂の正面は当時の処刑地の長崎西坂に向けて、北向きになっています。 

 

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1867年、見物人に混じって浦上に住む女性が天主堂を訪れ自分が隠れキリシタンであることを告白。

幕府の厳しい弾圧の下で途絶えたと思われていたカトリック信徒の発見に神父は大いに喜び

ローマ教皇は感激してこれを「東洋の奇蹟」と呼んだそうです。 

1953年、太平洋戦争でかろうじて原爆の被災を免れた天主堂は

修理を終えて国宝に指定されました。

 

nagasaki-oura-church.jp

 

   

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大浦天主堂の横にあるグラバー園

数十年前の修学旅行の時にはなかったスカレーターで坂を上ります。

やっとグラーバー邸!と思ったら絶賛改装工事中で見学できず…Orz

代わりに旧三菱第2ドックハウスからの景色を楽しみました。

 

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園内にあるカフェ「自由亭喫茶室」さんで一服。

美味しいカステラとコーヒーをいただきました。

こちらは日本の西洋料理発祥の店を移築復元した建物なんだそうです!

 

 

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長崎湾に停泊するコスタ・ベネチア

その後ろの山の頂上が夜景撮りした稲佐山の展望台ですね。

この巨大クルーズ船、新型コロナ問題でこの時の乗客は一人もいなかったようです。

  

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帰りの電車の時刻が迫っていたためあまり時間がなかったのですが

オランダ坂の光景を目に焼き付けて行こうと寄り道。

このあと急いで長崎駅へ戻りました。

 

 

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楽しかった長崎旅行もこれでお終いです。

コロナの件で不安もあったのですが、春節で賑わう長崎の街はやはり格別でした。

唯一、心残りは長崎ちゃんぽんを食べ損なったことですね(笑

 

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787系特急かもめ、ほんとに乗り遅れそうだったのでピントが微妙~(笑

この趣のあるJR長崎駅の駅舎も今月3月末で役目を終え

4月からは長崎新幹線の新駅舎が観光の玄関口になるそうです。

 次回は便利な新幹線で訪れてみたいですね。

 

長崎写真旅行、お付き合いいただきましてありがとうございました^^)

 

 


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