今回の広島訪問で見学してみたかった原爆ドームと平和記念資料館。
ただ友人からは、資料館の展示内容がショッキングだから心しておくようにとも言われていました。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
被ばくの辛い体験を身近に知る友人と合掌。
あの日のまま時間を止めているかのような原爆ドームの前に佇むと
「恐怖と悲しみ」の悲鳴が聞こえてきます。
写真のT字状に繋がる相生橋を目標に投下された原子爆弾「リトル・ボーイ」は
上空600mで炸裂、太陽の表面温度よりも熱い8000度の火球となって
罪なき一般市民を相手に無差別に襲いかかったのです。
爆心地付近にいた人は約4000度にもなる「熱線」で焼け溶けて即死、
また「衝撃波」や「爆風」で吹き飛ばされた建物の下敷きとなって圧死、続く火災での焼死、
かろうじて即死を免れた者も致死量を超える「放射能」の影響で数日以内に死亡。
当時の広島市の人口が約35万人だったところ
その年だけでおよそ14万人の方が亡くなったと推計され、
その大半が今だに氏名も不明のままなのだそうです。
レストハウスでは夜のリサイタルに向け、
持ち主と共に被ばくしたピアノ「明子さんのピアノ」の調律が進められていました。
当初は資料館の展示物をカメラで撮れたら…なんて考えていましたが、
火傷で皮膚が振袖のように垂れ下がったまま水を求めて彷徨う人々、
眼球が飛び出してしまった少年の絵、放射能の後遺症で苦しむ姿…。
とてもじゃないですがシャッターを切る気持ちにはなれませんでした。
私の前で見学していた男の子は
その想像を絶する惨状を知り、その場にうずくまって嘔吐してしまうほどで…。
また犠牲となった子供達の遺品も数多く展示されています。
名札のついたボロボロの上着、ゲートル、水筒をかけたトルソーを見たときは
目頭が熱くなりそっと抱きしめたくなりました。
閉館間際になっても入館希望者の大行列は続きます。
日本人に混じってとりわけ欧米からの観光客が目立ち
あの日あの時、この場所で何があったのか、
自分の目で確かめたいと思う人が世界中にいることに少し救われたような気も。
資料館の周辺にはこんなにも多くの人がいるのに
皆無口で、街に喧騒もなく、ただただ静寂に包まれていたのでした。
さて、夜になったところで本来の目的である「飲み会サミット」開催
市内の繁華街、八丁堀方面へ繰り出しました!
先ず一件目は、カープファンならよくご存じのこちらへ。
全てのメニューが広島カープの選手名になっているところが面白い!
なぜか私がオーダーすると真っ先に運ばれ
友人が注文したものが全然来なかったりしたけれど(笑
焼鳥を中心にどれを食べても旨かったなぁ、
糠の風味が効いたきゅうりの漬物など脇役もお見事!
カウンター席の居心地も良く、カープファンでなくてもまた寄ってみたいお店です。
続いて、胡(えびす)町の大通り沿いにあるこちらへ。
個室で腰を据えてお互いの近況報告など。
組織を離れて独り立ちした友人にエールを送りたい!
全国展開のFC店のようですが、広島名物や地酒など豊富に揃っていました。
上の写真は魚肉の練り物を揚げた「ガンス」でがんす^^)
牡蠣が苦手な友人に代わって私が総ざらいしたガンガン焼き。
華やかな香りがする西条の銘酒「賀茂鶴」と共に。
今宵も長編写真ブログにお付き合いくださりありがとうございました。
次回は厳島神社編に続きます^^)
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